黄昏時のひとやすみ

毎日が日曜日の生活。書きたいことがあれば、気取らずにありのままを書き綴ります。うたたねも得意です。
「昼のお星は眼にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」
「色即是空」、なんて境地でもないけれど、生きてることの素晴らしさ感じたい。自分に正直に生きたい。

なのにあなたは京都へ行くの・・・・

しばらくブログを更新していませんでした。
このひと月くらいの間に、京都へ5~6回行ってました。
書き綴ることが多すぎて、ブログを更新する気にならないという、
不思議な症状をきたしておりました。
それは今でも継続中なのですが・・・


神社仏閣を巡ることを趣味としていると、京都を訪れることは避けて通れないことなのですが、なぜか京都に足を運ぶことを躊躇っていたのです。
交通の便は悪いし、拝観料はかかるし、なにかと敬遠しがちな京都でした。


それこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで、集中的に京都の神社仏閣を巡っておりました。


50以上の寺や神社を見て回り、御朱印もいただいてきましたので、散々散財(苦笑)
しかしながら、お参りしたい寺院や神社はまだまだあります。
京都って、やっぱりすごい街だとあらためて思いますね。


印象に残っている寺社は数多くあるのですが、その中でも印象深いのは、
高台寺、法然院それに興聖寺。。まだまだあるけど。。。


高台寺は落ち着いた雰囲気で、案内の方々の印象もよかったです。内助の功といいますが、ねねさまのお力をあらためて感じました。


法然院は3度目にしてやっと御朱印を書いていただけました。”南無阿弥陀佛”という質素な簡潔な文字が印象的です。


興聖寺は宇治にある道元禅師の禅寺です。こじんまりとした寺ですが、素敵でした。
受付をされていた若き修行僧らしき人と道元の自力と親鸞の他力との違いの禅問答もしました。


今年中の京都訪問はしない予定ですが、まだまだ数回は京都に足を運ばねば。。
行くと、万歩計の数字も2万歩以上カウントされていますので、健康にもいいのかもしれません。



なのにあなたは京都にゆくの

流行語大賞と今年の漢字?

レコード大賞が数ある年末の賞レースの一つに過ぎなくなってしまっていますが、
まだまだ話題に上る”流行語大賞”


これとて、主催者がどこなのかと調べると、なんとなくその権威もないような気もします。


年末の恒例行事として、やったもん勝ちなのでしょうけど・・


”神ってる”?


あ、そ!


”今年の漢字”も、その主催者の10年ほど前のトラブル以降、なんとなく色あせてしまったと感じています。


いずれにせよ、一年を振り返り、新年に向けての気持ちをあらたにすることは大事。


でもねぇ~~~~


一言では言い表せないほどに複雑に、かつ目まぐるしく変化する現在なのです。


簡単に決めつけてほしくないなぁ~~~~(汗)

ぼた餅vsおはぎ & おにぎりvsおむすび

日本語というものは、わかったようなわからない言葉も多々ありますね。


母親のことを”おふくろ”とも言いますが、これも起源は曖昧。
俗に言われているのが、お腹にいるときに袋でくるまっていたからとか、財布の袋を管理していたのが母親だったからとか、、、、
いずれも、後からのこじつけっぽい。
余談になりますが、”おふくろ”といういい方は、最近の若者は言わないそうですね。
絶滅しかかっているそうです。
そのうち、歌「おふくろさん」やドラマ「拝啓、おくふろ様」のタイトルでしかなくなるのかもしれません。


”おにぎり”と”おむすび”の違いや起源は?
色々言われていますが、根拠なき、後付けの理由っぽいように思います。
これほどに、言ったもん勝ちの起源も珍しい。
コンビニ業界でも、二手に分かれてしまっているから手に負えない。
単に、本家と元祖の争いという他、ありません。


”ぼた餅”と”おはぎ”も、その類。
秋と春で呼び方が違うって。。ホントか~~~~い!
幼いころ、炭鉱町で育った小生としては、”おはぎ”なんて、ハイカラなおしゃれな名前は知る由もなく、勝手に、ボタ山の”ボタ”餅だと、信じ込んでいました。
”ハイカラ”って、言葉も死語などとさげすまされていますが。。。


このような日本語、どれが正しくて、どれが間違いというのではなく、
すべて正しく、すべて、個々の生活環境の中で育まれた日本語のような気がします。


いずれも、なくしたくない日本語です。

高齢者の交通事故について考えてみました。

昨日の報道では、70代の男性が交通事故を起こしたとのことです。
高齢者の一人として、他人事ではありません。
なにせ、趣味の一つが全国をマイカーで旅することですから。


少し前の報道では、ある評論家が、高齢者は毎年運転免許の更新をさせるべきだと論評されていました。
それって年齢差別でしょ!って、小生はつぶやきましたが。。。


ネットを検索して、目に飛び込んできたフレーズが;


「老年の悲劇は老いているところにはなく、まだ若いと思うところにある。」です。


そういわれると、否定はできません。


さらに追い打ちをかける文章です。


「運転シミュレーターを使った実験によれば、交差点で迫ってくる対向車を認識して回避するまでの時間的余裕は、若者だと平均1.9秒でしたが、70代の高齢者の平均時間は1.2秒だったのです。つまり高齢者の方が危険を認識して、回避するまでの時間が若者比べて、平均で0.7秒も遅いことになります。」だって!


それも事実でしょうね。多分・・・・(汗)


自動車メーカーだって、最近は、自動運転機能の開発などに本腰を入れてくださっています。


それにおんぶにだっこをするわけでもないのですが、それらの機能が実用化されれば、年齢に関係なく、交通事故は減少するのではないかと期待をします。


ここで再び疑問です。


本当に高齢者の自動車運転は危険なのだろうか?


警察庁交通局が、毎年、交通事故発生状況についての報告書を公表していますので、それを調べてみました。


もっとも最近の報告は、平成27年における報告書で、平成28年3月30日付けで公表されていました。


むむむっ!



相対人数で言えば、若者の方が交通事故を起こす比率(年齢層別、運転免許保有者あたりの事故件数)は多いではないですか。
16~19歳、次いで20~29歳、その次に80歳以上が続きます。
30~79歳までは、ほぼ同じくらいの比率です。


さらに、交通事故の絶対件数の比較です。全人口のうちの高齢者の数が増加している現在、高齢者の事故件数が増加するのも頷けるところですが、突出しているわけでもなさそうです。


これって、


高齢者を目の敵にすることに矛盾している??


いずれにせよ、他人のふり見て、わがふり直せといいます。
くれぐれも、安全運転に気を付けて、交通事故を起こさないようにしなくちゃね。


メディアの報道姿勢についての雑感

メディアの報道姿勢には、ほとほと困ったものだと感じています。


その時々により、報道メニューが様変わり。
その時のニュースの価値とニュースの実際の報道選択とは、必ずしも比例していないように感じます。


オリンピック報道、豊洲問題、米国大統領選、韓国のゴタゴタ、などなど、あるニュースを報道するとなれば、他の報道はしばし休憩。それも、各局一斉に。


TPPや憲法改正などは、報道上は不人気っぽい。


あれだけ騒いでいた小池知事の動向も、このところ全く報道されず、米国大統領選が終結した途端に報道。。。。。


国民の関心とメディアの報道とはリンクしているとはいえ、メディアによる情報提供を信じすぎているように思えてなりません。


報道の自由度ランキングというものがあるそうですが、
それによると、日本は世界で72位だそうです。


日本のメディアが、他国に劣らず、自由な報道をしてくれているように感じている、その感覚こそが問題なのかもしれません。


http://ecodb.net/ranking/pfi.html