黄昏時のひとやすみ

毎日が日曜日の生活。書きたいことがあれば、気取らずにありのままを書き綴ります。うたたねも得意です。
「昼のお星は眼にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」
「色即是空」、なんて境地でもないけれど、生きてることの素晴らしさ感じたい。自分に正直に生きたい。

腕時計の駆動力に感謝!

冬になると、どうしても長袖を着る機会が多くなります。
そういえば、私の腕時計を動かす力は光だったはず。
慌てて、時計を外し、デスクの蛍光灯の下に置きました。(笑)


パソコンで調べたら、半年は暗闇でも駆動するそうな!
びっくりです。


そんなに高価な腕時計ではありませんが、技術の進歩には脱帽です。


高校に入学したときに買ってもらったねじまき式の時計に始まり、電池交換式、防水式と、5,6個は買ってきたように思いますが、今の時計は、もう何十年?


忘れるくらい前であることは確か。
考えてみれば、知らぬ間にすごい技術革新です。
ソーラー駆動に振動による自動巻き機能が付加されていたのかどうかは定かではありません。とにかく、動いています。(笑)


うるう年の1秒追加までの精巧さはないけれども、数週間前に時報とともに秒針を揃えた腕時計の針は、今でも秒単位で合っています。


まるで自分の心臓のように動き続ける時計に、あらためて感謝しました。


祝日ではないですが、6月10日は時の記念日。
天智天皇の時代、現在の暦で、6月10日にはじめて時を知らせる装置が動き出したことに由来するのだそうです。


昨年訪れた明日香に、水時計というのがありました。多分、それだろうな?
日本人は、昔から時間に正確だったようですね。


今は、毎日が日曜日の生活ですから、時間に追われることは皆無なんですけど(笑)

もうやってきた自動車運転免許の更新

自動車の運転免許の更新手続きをしてきました。
数年おきに免許の更新をする理由があるのだろうかと、思っています。
手続き窓口で、大胆にも尋ねてみました。


「どうして、頻繁に更新手続きをする必要があるのですか?」と。


「規則で、そういうことになっております。」だって。


次の言葉が見出せませんでした・・・・


「あ、そ」


何十万円もかけて自動車教習所に通わせて、数年おきに運転免許の更新をさせるなんて、
どこか非効率な規則だと思ったりもします。


警察関係の方々の仕事を増やすという意義はあるのでしょうが。。


それにしても、他国との違いが大きすぎます。


自動車教習所にしても、日本ほど高額な費用を必要とする国はないかと思います。
更新手続きにしても同様のような。


規則ですからと言わず、その規則の抜本的な見直しを望みたい。


除夜の鐘のはしご

新年あけましておめでとうございます。
新参者ですが、本年もよろしくお願い申し上げます。


今年の事始めと言いますか、生まれて初めて除夜の鐘を突いてきました。
それも二つのお寺の鐘を!


いずれも浄土真宗のお寺でした。
除夜の鐘は、煩悩を消し去るとの言い伝えを昔聞いたことがありましたが、
そんなことはないようです。
ましてや、浄土真宗のお寺ですから、煩悩があって当たり前。
そのままで、そのままで。


除夜の鐘が騒音だとの声も聞きますが、一年に一度。大目に見てほしいです。
心にゆとりが欲しい気も致します。


今年が良い年となりますようにと、願いを込めて鐘を突いてきました。
どんな一年となりますやら。


きっと、良い一年ですよね!
前向きに!
前向きに!

精進料理について考えてみました。

「精進料理」


あらためて考えてみると、よくわからないこともあります。


法事などで、動物性の食物を避けた料理だと認識していますが、
”精進”すなわち、”努力”する料理とも解釈されます。


即ち、常日頃の殺生を見直し、せめて法事のときくらいは殺生を反省する努力を示すということでしょうか?


殺生ということからすれば、植物はよくて、動物はだめっていうのもおかしな気がします。もっというならば、水だって、この世に与えられた生命の維持に最重要な資源。植物も動物も。大地を形成する山河だって、そうかもしれません。


道元さんなら、きっとそう言われる気がします。


植物はよくて動物は殺生なんて、人間が勝手に考えたものにすぎないようにも思います。
宗教的には、不浄な生物などと、いろいろな食材が禁忌とされていることも事実です。
その観点からすれば、精進料理の問題も論外かもしれません。


話が少し横道にそれますが、ウナギに見せかけたりした精進料理というのもあります。
その考え方も、私にはよくわかりません。
そこまでしてウナギを食べたい?
そこまでして動物を食べたいけど我慢をする?


もしそうなら、食べたいけど我慢するというストレスでしかないような気がします。


生命あるものを口にすることの畏敬や感謝の気持ちが、そこにはないような気がします。


親鸞さんのように、我慢せずに食べたほうが人間らしいとも言えます。


「いただきます」という感謝の気持ちを素直に表現しながら、肉でも魚でも食したらいいのではないかとも考えてしまいます。


そうは言っても、


あらゆる生命を奪い取ることで我々が生きていけていることを再認識するための料理が”精進料理”であると考えれば、納得できます。


親鸞さんの浄土真宗でも、報恩講の時は、精進料理を食するそうです。
殺生に対する気持ちを具体的に表現したいということでしょうね。


多分・・・


否、妥協の産物?

禅寺における新入社員教育

とある有名な禅寺にて、宿泊込みの新入社員教育を受けた経験があります。
記憶も定かでないくらいの昔の話です。


寺の名前を特定させたくはないのですが、今回の京都の寺社を巡る旅の一つとして、
当該寺院を参拝しました。


聞くところによると、今でも新入社員教育として、多くの企業が申し込みをされているとのこと。驚きました。


正直に申せば、禅寺での教育で何も効果がなかったのではないかという個人的な感想でしたから。一人当たり15万円近くの費用がかかるようです。企業の人事部門の方々、ご苦労様です。


今回の京都の寺院を巡る旅では、複数の禅寺を参拝したのですが、宗派によって考え方が違うのだなって、あらためて実感したことも事実です。


複数の禅寺を訪問したのは、ちょうど、すす払いの日(12月13日)だったのです。
ある禅寺では、若い僧の方々が素足で、寒風の中黙々と、廊下磨きをされていましたので、声をかけてみました。


「寒くはありませんか?」と質問しました。


すると、「寒い時は、寒い中に身をおくだけです。」という返事。


個人的には、禅の心を見せていただいた気がいたしました。


別の禅寺では、世間でいう、昼休みの時間帯に参拝しました。
参拝後に御朱印を頂いていた時、大きな話し声が近くから聞こえてきました。


小生「騒がしいですね」


御朱印を書かれていた僧曰く、
「事務方の人間で、昼休みですから」


小生、さらに食い下がり、
「禅寺の印象とは、違う感じです」


当該僧は席を外し、騒いでいた人々のところに駆け寄り、
「お客様からクレームがでているので静かにするように」


小生、
(違うんだよな。。。。。言いたかったことは。。。。。)


小生が新入社員教育を受けた禅寺でのことです。