黄昏時のひとやすみ

毎日が日曜日の生活。書きたいことがあれば、気取らずにありのままを書き綴ります。うたたねも得意です。
「昼のお星は眼にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」
「色即是空」、なんて境地でもないけれど、生きてることの素晴らしさ感じたい。自分に正直に生きたい。

マンネリな地区運動会

今日は地区の運動会でした。
いわゆる公民館が主催する運動会。
楽しんで参加する人もいるし、嫌々ながら参加する人もいる。


楽しんでいるのは、学校の運動会と違って、賞品がでると喜ぶ子供たち?


大人からしてみれば、なくてもいい行事の一つといったところ。


そもそも、学校主催の運動会と公民館主催の運動会のすみ分けがはっきりしない。


学校主催の運動会に保護者や住民も参加して、運動会の一本化を図ればいいのではという意見もある。


落ち着くところは、これまでもやってきたことだから続けてるというもの。


公民館の在り方が問われているのかもしれません。


公民館は、学校外での社会の中での子供たちの教育を地区の大人たちがしていくことが目的であったはず。


その原点をもう一度見つめ直せば、どういった運動会であるべきかはわかるようなものだ。


現実は、そうなっていない気がする。
子供の種目と大人の種目が分かれており、そこに相互の関係性が見出されない。


理想的には、子供と大人が共に楽しみながら体を動かす運動会がいいと感じている。
その中に、楽しみながらも協力し合う規律性であったり、相互の思いやりや助け合いの精神と年齢層間のコミュニケーションがなされればと思う。
種目の見直しから行わなければならない。


子供たちの綱引き、大人たちの綱引きを別々にするのではなくて、大人と子供の混合の綱引きにするだけで、相互の連帯感が生まれるというもの。


大人たちだけの玉入れよりも、子供たちも共に同じかごに玉入れをするほうが、楽しい思い出として残ると信じる。


何気なく行われているいろいろなマンネリな行事、原点に戻って考え直すことも多々ありそうです。

文化?

10月10日の体育の日も過ぎ、次の祝日は「文化の日」


文化って?


あらためて問われると、答えに窮します。


漠然としている。


国宝とか文化財とかの名称があるけれど、よくわかりません。


なんとなくだけど、古い建築物だったり、美術品だったりが文化?


ウィキペディアによれば、


「総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のこと」とある。


難しすぎて理解できない。


ブリタニカ国際大百科事典というのによれば、


「人間の知的洗練や精神的進歩とその成果,特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが,今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさす」とある。


やっぱり難しい。(*_*;


独断と偏見で解釈するならば、


過去から現代に至る、人間の有様そのもの?


そこで素朴な疑念。


「国破れて山河あり」というものの、


当時の人間はそこでいかに闘い、破れていったのかも大事な文化の気がする。


城巡りも趣味の一つとしているが、そこで闘い、守っていた武士の生き様を想像する時に城巡りの醍醐味を感じる。


その時代の人間の生き様は過去のものとして、美しい山河だけを愛でるのはいかがなものか。おろかな人間の有様を大事にしたい気がします。


神社仏閣巡りにも、同じことがいえる。


神社・仏閣・城の建造物も大事な文化財ではあるが、当時の人々がどのような気持ちを抱いて生活していたのか、残っている文化財を手掛かりに考え、それを後世に伝えることが、もっと大切な文化の保護のような気もしてくる。


3週間後が文化の日。


季節もよい時期。いろいろなところに出向いて、「文化」を感じたい。

どっち?体育の日?スポーツの日?

今年は、10月10日が体育の日。スッキリ!(苦笑)


そもそも、「体育の日」とは、なんだろう。


法律を紐解けば、体育の日は、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」ことを趣旨としている。


根本的な疑問がわいてきます。


「体育」と「スポーツ」の解釈が、法律そのものに、混在しているのではないかと。


体育の英語訳は、「Physical Education」であって、「Sports」ではありません。
健康を祝うことが主眼であれば、4月7日、世界の「健康の日」(世界保健デー)というものがあったり、10月7日が健康の日とかも言われています。


体育とは、食育とか、徳育とかと並び称される五育の一つ。


ならば、「食育の日」、「徳育の日」、「知育の日」、「才育の日」があっていいような気もする。なぜ、体育だけが祝日に?


その体育の定義も、「学校における授業の教科または科目の1つである。スポーツ・武道などの各種の運動を通じて、心身の健やかな成長をねらうと共に、自己の体のしくみなどを学ぶ。」と記載されている。定義の前半と後半が、とってつけたような組み合わせ。しかも、スポーツと武道を併記するところも違和感がある。


益々以て、本質的な混乱(無理やり、体育とスポーツをくっつけたがっている)が生じていると言わざるを得ない。


究極の疑問は、「スポーツ」って何?


「一定のルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む、身体を使った行為である。」と記載されている。肉体鍛錬の要素??


こうして、考えていくと、


体育は教育であり、スポーツは遊びと明確に区別したほうがスッキリする。


子供のころ、「遊んでいないで、勉強しなさい」って叱られたものです。


「今、体育の勉強中!」って、反論すべきだった?


「運動会、体育祭、スポーツの祭典」、言葉の遊びに過ぎませんが、
「体育」と「スポーツ」が同義語のように、あふれています。


遊びを主眼とするスポーツをつかさどるスポーツ庁が、学問を追及する文部科学省に所属すべきかどうか、
そんなことも考えてみる「体育の日」でありたいものです。


海外の多くの国は、スポーツ・観光省を独立した省にしているとも聞きます。
オリンピック・パラリンピックを文部科学省が関係すること自体、疑問を感じます。
この際、スポーツ・文化・観光省を設立すれば?ってことも思います。


海外と日本とで、当然のことながら、スポーツに関するとらえ方に大きな違いもありそうです。日本の常識が、世界に通用するとは限らない?


限りなく続く神社仏閣参拝

一度や二度の参拝では御利益はないかのごとく、既に参拝した神社仏閣を何度も参拝することになりそうです。


というのも、


神社仏閣巡りのきっかけは、四国遍路を車で巡拝しはじめたことでした。
そのうち、歩きで参拝することに。合計すると、車で4巡、歩きで2巡していました。


さらに、秩父遍路を歩きで1巡。


神社を参拝し始めたきっかけは狛犬でした。


途中から、参拝の証として御朱印をいただきたくなり、全国260以上の神社参拝を最初からしなおし。


五木寛之氏の古寺巡礼を観て、またまた全国の古寺巡礼もしたくなっています。(苦笑)


全国の神社を参拝している最中ですが、170以上の古寺をあらたに参拝しようかと。


さてさて、何年かかることやら・・・・



来年こそ君だ!医学生理学における日本の底力

大隅良典さんがノーベル賞受賞です。
おめでとうございます。


でも、ちょっとがっかりした気持ちを抱いてる日本人もいるんです。


ノーベル賞候補の日本人24人というリストが毎年だされますが、


なんと!同級生がその一人に!数年前に一度だけノミネート。
残念ながら、その後はノミネートされていませんが。。


この時期になると、密かに期待して、がっかりの繰り返しです。


来年こそ君だ!


そう言い聞かせながら、何年にもなります。


年賀の一言に、「来年は君だ」って、今年こそ書いちゃおうかな!


やっぱりやめておこう(*_*;


それにしても、医学生理学、化学の分野の日本の底力はすごい。
候補者が目白押し。


どなたが受賞されても、喜ばしいことです。