黄昏時のひとやすみ

毎日が日曜日の生活。書きたいことがあれば、気取らずにありのままを書き綴ります。うたたねも得意です。
「昼のお星は眼にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ」
「色即是空」、なんて境地でもないけれど、生きてることの素晴らしさ感じたい。自分に正直に生きたい。

精進料理について考えてみました。

「精進料理」


あらためて考えてみると、よくわからないこともあります。


法事などで、動物性の食物を避けた料理だと認識していますが、
”精進”すなわち、”努力”する料理とも解釈されます。


即ち、常日頃の殺生を見直し、せめて法事のときくらいは殺生を反省する努力を示すということでしょうか?


殺生ということからすれば、植物はよくて、動物はだめっていうのもおかしな気がします。もっというならば、水だって、この世に与えられた生命の維持に最重要な資源。植物も動物も。大地を形成する山河だって、そうかもしれません。


道元さんなら、きっとそう言われる気がします。


植物はよくて動物は殺生なんて、人間が勝手に考えたものにすぎないようにも思います。
宗教的には、不浄な生物などと、いろいろな食材が禁忌とされていることも事実です。
その観点からすれば、精進料理の問題も論外かもしれません。


話が少し横道にそれますが、ウナギに見せかけたりした精進料理というのもあります。
その考え方も、私にはよくわかりません。
そこまでしてウナギを食べたい?
そこまでして動物を食べたいけど我慢をする?


もしそうなら、食べたいけど我慢するというストレスでしかないような気がします。


生命あるものを口にすることの畏敬や感謝の気持ちが、そこにはないような気がします。


親鸞さんのように、我慢せずに食べたほうが人間らしいとも言えます。


「いただきます」という感謝の気持ちを素直に表現しながら、肉でも魚でも食したらいいのではないかとも考えてしまいます。


そうは言っても、


あらゆる生命を奪い取ることで我々が生きていけていることを再認識するための料理が”精進料理”であると考えれば、納得できます。


親鸞さんの浄土真宗でも、報恩講の時は、精進料理を食するそうです。
殺生に対する気持ちを具体的に表現したいということでしょうね。


多分・・・


否、妥協の産物?

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